朝日 2008年10月17日22時39分
奈良県明日香村の石神遺跡(飛鳥時代)から出土した7世紀後半の木簡に、国内最古の歌集、万葉集の歌が記されていたことが、森岡隆・筑波大准教授(日本書道史)の調査でわかった。
万葉集の歌木簡は、滋賀県甲賀市の紫香楽宮(しがらきのみや)跡とされる宮町遺跡(奈良時代、8世紀中ごろ)の出土例が最古だったが、約60年さかのぼる。今回の歌が収録された万葉集巻7の成立時期より少なくとも半世紀以上古く、編纂(へんさん)過程を知る貴重な史料となる。
森岡准教授や奈良文化財研究所によると、木簡は羽子板状で長さ9.1センチ、幅5.5センチ、厚さ0.6センチ。日本語の1音を漢字1字で表す万葉仮名で、左側に「阿佐奈伎尓伎也(あさなきにきや)」、右側に「留之良奈●麻久(るしらなにまく、●はにんべんに尓)」の14文字がくぎのようなもので刻まれていた。万葉集巻7に収録の「朝なぎに 来寄る白波見まく欲(ほ)り 我はすれども 風こそ寄せね」(作者不明)の冒頭部分とほぼ一致していた。
歌の意味は「朝の凪(なぎ)に寄せて来る白波のような恋人を見たいと思いはするが、風が波を寄せて来ない」(『中西進著作集20 万葉集全訳注原文付二』四季社)。
木簡は奈文研の調査で03年度に発見。近くで出土した別の木簡には「己卯年(679年)」と記されており、7世紀後半のものと推定した。木簡は右から書く例が多いため出土時は意味が判読できず、万葉集の歌とはわからなかった。森岡准教授は、過去の研究で土器に左から歌を書く例があったことから、万葉集の歌と判断した。今回の木簡の歌には「見まく」の「見」に相当する部分がなかった。「寄る」を「やる」としたのは書いた人のなまりのため、「白波」を「しらなに」としたのは「弥(み)」を「●」と間違ったと推測している。
石神遺跡は飛鳥時代に、当時の政権が外国使節らを招いた迎賓館跡とされ、これまでに庭園や大型建物の遺構が見つかっている。
■「はやり歌」の可能性
上野誠・奈良大教授(万葉文化論)の話 木簡の歌は、万葉集が完成するかなり前から詠み継がれてきた「はやり歌」の可能性がある。口頭で歌われたものを書きとめたため、一部に間違いもあるのだろう。万葉集は訓読みの漢字や万葉仮名で書かれた後世の写本しか残っていないが、7世紀後半の時点で万葉仮名で歌が書かれていたことがわかり、非常に意義深い。
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明日香・石神遺跡で最古の万葉歌木簡
産経 2008.10.17 22:30
飛鳥時代の役所跡とされる奈良県明日香村の石神(いしがみ)遺跡で発見された7世紀後半の木簡に、万葉集に収められた和歌が刻まれていたことが17日、森岡隆・筑波大学大学院准教授(日本書道史)の調査で分かった。万葉歌の木簡は、滋賀県甲賀市の紫香楽(しがらきの)宮(742~745年)跡で見つかっているが、半世紀以上さかのぼる国内最古の例となった。8世紀後半に編纂された万葉集の1首を、飛鳥時代の宮廷人が詠んでいたことが裏付けられ、万葉集のルーツを考える上で貴重な資料になりそうだ。
木簡(長さ9センチ)は、平成15年度の奈良文化財研究所の発掘で見つかり、万葉仮名で「留之良奈●麻久(るしらなにまく)」「阿佐奈伎尓伎也(あさなきにきや)」と、7文字ずつ2列にわたって刃物で刻まれていた。
万葉集巻7には、「朝なぎに来寄る白波見まく欲り我はすれども風こそ寄せね」(朝なぎに寄せる白波を見たいと思うが、風が吹いてくれない)という作者不詳の和歌が収められている。
森岡准教授は木簡の文字列を通常と反対の左の行から読めば、「あさなきにきやるしらなにまく」と、万葉歌の上の句とほぼ一致することを発見した。
同研究所などは当初、右の行から読み、万葉集の歌の句とは気づかなかった。森岡准教授は「左から読む例は過去にもあり、矛盾はない。木簡には誤字や脱字があるが、役人が都のヒットソングを覚えていて、手すさびに記したのかもしれない」と話している。
万葉集は現存する最古の歌集で、大伴家持が編纂したともいわれ、天皇の恋歌や庶民の歌など約4500首が収録されている。
●=にんべんに尓
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万葉集:和歌刻んだ最古の木簡出土 奈良・明日香
毎日変態新聞 2008年10月17日 20時01分
奈良県明日香村の石神遺跡で出土した7世紀後半の木簡に、万葉集の和歌が記されていたことが、森岡隆・筑波大大学院准教授(日本書道史)の調べで分かった。紫香楽宮(しがらきのみや)跡(滋賀県甲賀市)から出土した万葉歌を記した木簡(8世紀中ごろ)を半世紀以上さかのぼる最古の例。8世紀後半には成立した万葉集以前の歌の在り方や成立過程を知る上で、貴重な発見となった。
木簡は、奈良文化財研究所の03年度の石神遺跡発掘調査で、溝付近から出土していた。同じ溝から天武・持統朝(672~697年)の木簡が見つかっており、同時期のものとみられる。
木簡(長さ9.1センチ、幅5.5センチ、厚さ6ミリ)は羽子板のような形。万葉集に収められた和歌「朝なぎに 来寄る白波見まく欲(ほ)り 我はすれども 風こそ寄せね」のうち、万葉仮名で、左から左右2列にわたって7文字ずつ、「阿佐奈伎尓伎也(あさなきにきや)」、「留之良奈●麻久(るしらなにまく)」と刃物状のもので刻まれていた。
同研究所は当初、右から左へ読む木簡の一般的な読み方で解釈したため、「和歌の可能性がある」としながらも意味をつかみきれなかった。
歌は、白波を恋人にたとえ「朝なぎに寄せ来る白波を見たいけれども、風は吹いてくれない」と、恋人に会う機会がなかなか訪れないことを嘆く内容。作者は未詳。
石神遺跡は、朝鮮半島からの使節らをもてなした供宴施設や役所などがあったと考えられている。【林由紀子、花澤茂人、泉谷由梨子】
●は、にんべんに「尓」
◇ことば 万葉集
日本最古の歌集。全20巻に約4500首あり、主に飛鳥時代から奈良時代にかけての歌を収録。歌人としては柿本人麻呂、山上憶良(やまのうえの・おくら)、大伴家持、額田王(ぬかたの・おおきみ)などが知られる。16巻までは745年以降の数年の間に編さんされたとされ、782~783年ごろに全20巻の編さんが完了したとされる。